2013年2月26日火曜日

アメリカに見いだされた日本の奇才

江戸時代の奇才画家・曾我蕭白



江戸時代の絵師、曾我蕭白(そが しょうはく)(1730年-1781年)は屏風や襖絵などに中国風な風景や動物、人物など水墨画で表現している。
曾我蕭白の絵の特徴は大胆な構図と人物や風景の狂気的なデフォルメだ。
その線の描写は荒々しく力強いが、しっかりとコントロールされているように見える。
一本の線ではなく、強弱のある何本の線もが結集してオブジェクトを描写している。
例えば図1の左の男性の顔はカーブの線で顔が描写されているが、通常の顔よりくぼみすぎでごつごつしている。
右の図の男性の着物の裾当たりはひらひらうねうねとしており、筆の勢いで強弱をつけることによって、風に揺れる布の質感を本物よりもより強調して表現している。
足も普通の比率より大きく描かれている。
ここまで強調され、くずされて描かれていても、とてもリアルな描写になっている。
この絵は本物の人間を観察して描かれているように見える。
本物より強調された人物像があたかも二次元の向こう側に生き生きと存在しているかのようだ。
この絵は、観察力、想像力、画力が揃っていないと表現できないうまさがある。



図1/蝦蟇・鉄拐仙人図 :曾我蕭白



白と黒のコントラストも絶妙だ。
例えば図2の鷹図の背景は淡く描かれ、鷹の色が黒の色で塗られている面積が多いため、
視線が鷹に向く。
この思い切ったコントラストの効果は、見せたい部分を簡潔に強調している。




図2/鷹図:曾我蕭白



影響



曾我蕭白は白隠 慧鶴(はくいん えかく)(1686年-1769年)から手法だけでなく、気魄やユーモアも影響を受けたと言われている。
白隠は江戸中期の禅僧であり、臨済宗中興の祖と呼ばれる。
図3の白隠の代表作大燈国師像(だいとうこくしぞう)の絵の中の男性の着物は、曾我蕭白と同じように太い線で描かれている。
絵の中の男性の眉は吊り上がっており、目は大きく見開いてる。
髪と髭は手入れもなく伸びているにもかかわらず、その表情に表れる気魄は神聖さを感じさせる。



図3/大燈国師像:白隠



この大燈国師像には逸話が残っている。
後に大徳寺の開山となる大燈国師は、師である大應国師から印可を受けた後、20年にもわたって京の五条の橋の下で乞食に混じって暮らしていたが、後醍醐天皇がその噂を聞き、召し出そうとした。瓜が好物だというので、役人に命じて瓜を並べさせると、乞食がたくさん集まってきて、役人が「足を使わずに来る者に与えよう」といったところ、「手を使わずに与えよ」と言った者がいた。禅問答だ。それで大燈国師を見つけることができたという。


図4の曾我蕭白の作品の唐獅子図からは内からあふれるような気魄が感じられる。
唐獅子図の画面のこちら側を凝視する獅子の目を見開いた表情は獅子とその画面全体に緊張感が生まれている。
このような空間を支配するかのような雰囲気は禅僧である白隠から技術だけでなく、気高い精神性までも吸収したかのようにも見える。



図4/唐獅子図:曾我蕭白



現代の奇才イラストレータ/Shimizu Yuko



'Shimizu Yuko'は、アメリカのスクール・オブ・ビジュアル・アーツで学士号を修了したのちイラストレーターとしてNYを拠点に活躍している。

彼女は様々な賞を獲得しており、世界が尊敬する日本人100(2009年)にも選ばれている。
「日本らしさ」を独自に解釈して表現しており、モチーフは北斎の浮世絵にでてくるような富士山や波など着物をきた女性など日本をイメージさせるものが多く使われている。
わかりやすい構成と隠喩・暗喩の表現で作られる独自の物語は見る物に大きなインパクトを与え、簡潔なメッセージを伝えることに成功している。
ラインを描くのに使用しているのは日本製の筆だ。
その線は勢いがあり表現豊かだ。
その技法からも日本らしさを演出している。
その総合的なアプローチはコントロールされており、ビジネスとして成功している。

図5で描かれた波は毛糸で編まれており、真ん中にいる人物は上半身が全て編まれた毛糸に包まれている。
顔が描かれていないので、見る物を息苦しくさせる。
レイアウトは図6の葛飾北斎の富嶽三十六景:神奈川沖浪裏に良く似ている。
波や富士山はほぼ同じくらいに位置する。




図5/SUPERPHAT exhibition catalog:Shimizu Yuko



図6/富嶽三十六景:神奈川沖浪裏:葛飾北斎



葛飾北斎は海外での評価が高く1998年に米国「ライフ」誌が企画した「この1000年間に偉大な業績をあげた世界の人物100人」では、日本人でただ一人北斎だけが選ばれている。
葛飾北斎はアメリカでも知名度が高いので、その代表作をアレンジすることによって、
「どこかで見たことがある絵」として認識され、「日本人が描いたイラスト」ということを見る人に伝えている。
Shimizu Yukoは現存しているイメージに隠喩・暗喩的な表現を付け加えることによって、一歩新しい表現を生み出している。


表現方法は違うにしろ、その勢いと奇抜さは曾我蕭白とも共通していると感じる。
曾我蕭白の場合はモチーフをデフォルメすることで、Shimizu Yukoはモチーフと隠喩・暗喩の掛け合わせによってそれぞれ奇抜さを表現している。
どちらも共通している点は、不思議なことに贋作が多いという所だ。
すでにあったものにプラスで要素を追加しアレンジをしたため、通常とは感覚のちょっとずれたイメージを作り出したのかもしれない。



アメリカでの評価



曾我蕭白もYuko Shimizuもどちらもアメリカに才能を評価されている。
曾我蕭白の場合は江戸当時の評価ではなく、明治以降になる。
明治にアメリカのウィリアム・スタージス・(1850年-1926年)ビゲローとアーネスト・フェノロサ(1853年-1908年)に作品を買い取られている。
現在曾我蕭白とその関連作品41点の作品はボストン美術館に所蔵されている。
日本でも曾我蕭白は人気があったとされるが、1868年の神仏判然令発布による混乱の影響で各地の寺院や仏具の破壊が行われ、巻物や古美術が二束三文で売られ海外にも流失してしまった。
それを知ったフェノロサは古社寺調査を行い、文化財保護の提唱者となっていった。
その時曾我蕭白の絵が買い取られた。

Yuko Shimizuは海外で自分を日本人として客観視し、ビジネス的なアプローチを成功させている。
もし日本で活動していたら、アメリカほど評価はされなかったのではないかと感じる。
日本だと論理的でインパクトが強すぎるのかもしれない。
(もしかしたら日本では違うアプローチをするのかもしれないが)

アメリカでは日本の奇才を見抜き、評価する感覚を持ち合わせているようだ。



創作力の原点



縄文時代に作られた縄文土器の生命力あふれる形がクリエイティビティの原点にあたるように感じる。
縄文時代に作られた縄文土器は様々な模様な組み合わされて作られている。
形はいびつでまがまがしく、非常に自由でな感覚で作られているように見える。
生命力をダイレクトに表現しているかのようだ。
弥生人が渡来してくる以前の日本の島国で育まれた躍動感あふれる創作性は日本人に根強いており、そういった原点にあるの'奇の創作力'とも思えるような制作物が時代を超えて時折生まれているように感じる。



縄文土器



しかし縄文土器の創作性も岡本太郎が提唱してから見直されていることもあり、昔から'奇の独創性'は日本で好まれる傾向はあったが、国内ではあまり評価されずにきたのではないかと思う。
それは奇抜すぎて受け入れられなかったのかもしれないし、当たり前に受け入れられ過ぎて見過ごしていたのかもしれない。
他の文化で育った日本ではない国だからこそ見える部分があるのかもしれない。
他の国の視点から客観視することによって得られた「価値の見直し」は視野を広げ、日本という国の文化の価値を新たに発見することに繋がっていくのではないかと思う。








Posted on 17:34 | Categories:

2013年2月13日水曜日

タイポグラフィを意識した日


ギンザ・グラフィック・ギャラリーの『秀英体100』の展覧会はタイポグラフィへを学ぶきっかけになった。



『秀英体100』/ギンザ・グラフィック・ギャラリー/2011年1月11日-1月31日



この展示会では秀英体の誕生から平成の大改刻まで、秀英体の100年を書籍・新聞広告・ポスター・電子書籍等さまざまなメディアを通して紹介している。
























展示会の様子/スケッチ



展示されていたもののひとつに秀英体の「あ」の字があった。
この文字に非常に衝撃を受けてしまった。
「日本にはこんな文字が存在していたんだ…」
つぶれたような力強い字。
整頓されすぎずに奇妙とも言える形に目を引かれた。
(今思えば、ディテールだけに関心がいくのはあまりよいことだとは思われないが)
それはそれでタイポグラフィをはっきりと意識するきっかけになった。





























秀英体初号明朝の「あ」/会場のスタンプ



何かをデザインする時には、文字を扱う場面が非常に多かったので、タイポグラフィーには関心があった。
ひっそりと心の中で「日本人なのに、『日本語』についてどのくらい知っていたのだろう?」と疑問に思っていた。

大学時代、英国の学校で教授に日本語の間隔はどのくらい空けるもの?
1分間でどのくらい読める?
という質問をされたことがあったが、当時は(イラスト中心に勉強していたため)その質問について答えることが出来なかった。
ただ、そのことは帰国してからも心に残ってずっと気になっていた。

その展示を見てからタイポグラフィに興味がわき、専門に勉強したいと思い、朗文堂の新宿私塾に入学することを決意した。
本当は2011年3月に入学する予定だったのだが震災があったため延長することになった。
1年後の2012年の同じ時期に20期生として入学した。

私塾では日本から欧米の歴史に幅広く触れることができた。
日本語の起源や漢字がどのように日本に伝わってきたのかという事。
活字から写植やデジタル化への移り変わりなどを丁寧に学ばせていただいた。
歴史的に価値がある本にも触れることができたのは、非常に貴重な経験になったと思う。

タイポグラフィには歴史があり、知性があり、美があり、技術がある。
これからも歴史や書物に触れ関わっていきたい。 
Posted on 21:20 | Categories:

杉浦康平さん・横尾忠則さんの共通点と相違点



左:脈動する本:杉浦康平/右:初のブックデザイン展:横尾忠則 



経緯


2人とも有名なグラフィックスデザイナーだが、デザイナーとしての始まりや向かう方向性がそれぞれ異なっている。

杉浦さんは元々は東京藝術大学で建築を専攻していたが、そこからグラフィックスの世界に移行してきた。
それに対して横尾さんは最初はグラフィックスから入っていったが、後には画家宣言をしている。



デザインへのアプローチ


杉浦さんのデザインではタイポグラフィーとイラストがきれいに調和している。
大胆な構成をとっているが、全体の仕上がりとしてすっきりとした簡潔なイメージを持たせる。





































雑誌『季刊銀花』創刊号/デザイン:杉浦康平(1970年)



横尾さんの場合はインパクトのあるイメージとビビットカラーで目を引きつける。
放射状の形の背景が特徴的だ。

 







































『書を捨てよ、町へ出よう』/デザイン:横尾忠則(1967年)



一つ一つの本を見た時には色や構成で横尾さんの方が強烈なインパクトがあるように見えるが、本棚に飾られた時には杉浦さんのデザインは統一感をもたらし、心地よい安心感を感じさせる。


『ピカソ全集』/デザイン:杉浦康平(1981年-1982年)




初のブックデザイン展の地下の展示の様子:横尾忠則



海外からの影響[欧米]


アプローチに違いがある2人だが、同じように欧米とインドから影響を受けている。
もしかしたら時代の流れで自然とそうなったのかもしれない。

杉浦さんは1964年-1965年にドイツのウルム造形大学に客員教授として招かれている。
ヨーロッパのデザインの影響を受けている可能性はあると思う。
 




















ウルム造形大学での指導の様子(左下)と学生のポスター3点(左上・右上)(1964年)



横尾さんは1970-80年初代に活躍しており、その色使いや技法等のアプローチの仕方がアメリカのポップアートと共通している点がある。
1960年代にアメリカでアンディーウォーフォールがポップアートで全盛期をむかえている。
時代の流れからしても横尾さんもポップアートの影響はアメリカから受けているように思えるが、アートとして大衆文化を美術に取り込んだのではなく、もともとデザイナーの立ち位置でポップアートを取り込んだ様にみえる。
横尾さん自身はポップアートから影響を受けたのではなく、触発されたとインタビューで語っている。 




























マリリン・モンロー(1962年):アンディー・ウォーフォール



海外からの影響[インド]



1970年代には2人ともインドを訪れている。

杉浦さんは1972年にアジア活字開発調査のため、タイ、インド、インドネシアなどアジア諸国を初めて訪問する。
インドでは音と形の結びつきに感銘し、自然と人間社会が切り離されず調和されていることに気づく。








































『インド音楽祭』プログラム表紙デザイン/デザイン:杉浦康平・谷村彰彦(1988年)



横尾さんは1974年からインドを訪れるようになり、精神世界に興味を深め始める。
異世界に興味を持ち始め、ペインティングでも異世界との境界線を描いている。

























『薔薇刑』/デザイン:横尾忠則/撮影:細江英公



違った形ではあれど、インドから受けた影響は形だけにとどまらず、インドの精神性も影響していると感じる。


2人とも同じ時代に生まれ、それぞれ違った経路から始まり書籍作りに関わっている。
お互いに目指す方向やアプローチは違うけれども、同じくらいの時期に西欧とインドなど他の国から影響を受けているのはとても興味深い。

Posted on 16:28 | Categories:

2013年2月12日火曜日

土偶と現代のキャラクターの共通点


日本の土偶はシンプルかつ特徴をよくとらえており、表情豊かだ。
日本の現代のキャラクターの起源は土偶にあるような気がする。





縄文のビーナス:長野県茅野市棚畑遺跡で出土/縄文時代中期(紀元前3000年-2000年)



縄文のビーナスはとてもシンプルで美しい。
角がなく滑らかな丸みを帯びた形状で成り立っている。
顔も非常にシンプルで目は細い線2本で表されている。
デフォルメされた下半身はかなり大きめに表現されており、足もかなり太い。
そしてなによりすごいのはネガティブスペースまで美しいということだ。
この時代にこんな物がつくれたなんて本当にすごいことだと思う。



日本のキャラクターはたくさんあるが、シンプルな形のものが多いように見える。
例えば日本人によく愛されているガチャピンだが、特徴を強調され、簡潔化されている。
縄文のビーナスと比べるとさらに形は簡素化されている。
首や足が太い所、身体のカーブのラインなどの共通点がある。
子ども向けのキャラクターではあるが、ガチャピンは広告にもよく使われる子どもから大人まで幅広く愛されるキャラクターだ。


            

ガチャピン



土偶の後に作られた埴輪にも今のキャラクターの特徴と共通する要素があると感じる。
埴輪は愛嬌のある顔が多く、ポーズもかわいらしい。
形状も質感、色からすべすべとした感じがしてかわいく、やわらかいというイメージがある。
不思議とユーモアあふれる顔のキャラクターに囲まれると気が抜けた、脱力するような気持ちになる。
馬もデフォルメされて足が非常に太い。











































特集陳列「古墳時代の人々―人物埴輪の表情と所作―」



現代のイラストレータ、アーティストに描かれたキャラクターをみていると、どことなく埴輪の表情を連想させるものがある。
日本にはかわいいものがあふれているが、もともと日本人には埴輪をつくるようにかわいいものをつくる傾向があるような気がする。
もともと日本人の顔つきがこのような雰囲気をもっているのかもしれないが、ずっと引き継いで来た美意識のようにも見える。




たれぱんだ:1999年に大ブレーク



安西水丸さんのイラスト




猪熊弦一郎さんのドローイング



同じ時期に出土された海外のテラコッタと縄文ビーナスを比べてみる。
モヘンジョ・ダロで作られた地母神の顔はくりぬいて作っているのではなく、上から目や口となる部分を貼付けて作られている。
唇が厚めに作られていたり、上を向いているため、動的で表情豊かに見える。
モヘンジョ・ダロの夏の平均気温は45度以上にもなる。
暑い地域特有のオープンさが自然と表れているようだ。



3人のテラコッタ製の女神のフィギュア:モヘンジョ・ダロ、パキスタン(紀元前3000年-2000年)



日本の縄文ビーナスは目と口は彫られて作られている。
真っすぐ正面を見ているため静的な印象を受ける。
大人しげな表情だが、その表情にはわび(時間の経過によって劣化した様子(経年変化))・さび(粗末な様子、簡素な様子)が含まれているような面持ちがある。
Posted on 22:21 | Categories:

サラ・ファネリのイラストに潜む西欧の思想


サラの描くキャラクターにコラージュで人間の「目」の写真をコラージュされている。
動物なのに人間の目が貼っているというのは始めは面白い表現だとだけ思っていたが、
ある時違和感を覚えた。
それは、「動物を人間化」しているように見えたからだ…



サラ・ファネリのイラスト



そう感じたのはヨーロッパの宗教観や思想が強く作り手に影響しているのではないかと感じたからだ。
ヨーロッパでは広くキリスト教が信仰されている。
キリスト教の考えの中に人間が生物の中で一番優れているという考えも含まれている。
ユダヤ教、キリスト教の創造観は、旧約聖書の創世記に述べられている。


その中で神は人間に対して、

「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。
         海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」 

と命じている。


もう一つ、ヨーロッパの宗教観や近代の思想や芸術に大きく影響を与えたのが、古代ギリシアで生まれた「ギリシア神話」だ。
ギリシア神話にでてくる神々は人間の形をしている場合が多く、人間の能力の理想像を表している。
ギリシア人は神に近づくように努力することが生きる目的だと考えていた。
人間との関係性が明確で人間の能力を最大限まで発揮することが目的というのが根本的にある。
建築や絵画のモチーフによくオリュンポスの神々はよく取り入れられている。
例えばギリシャ共和国のアテネでは女人像柱がある。


エレクテイオンのカリアティード・ポーチ(紀元前421年-407年)



西欧では、歴史を通して様々なものに理想の人間像を組み込んできたと言える。
そもそも神の形が人間というのは、かなり人間社会を意識されて作り出された思想だということが感じ取れる。
「人間」というモチーフを意識的にも無意識的にも作る傾向があるのかもしれない。

そしてサラの場合は絵本作家であるため、このようなビジュアルは子ども達に無意識的にでも影響を与えているのかもしれない。
たとえそれがそれ自体では大きな主張にはならないかもしれないが、他の要素と組み合わさって影響していく可能性もある。



一方で日本では昔から八百万の神が信じられており、自然崇拝とも深く結びついている。
自然とともに生きてきて一つ一つのものを敬い感謝するという思想がある。

日本には鳥獣戯画があり、擬人化されている動物達が描かれている。
ユーモラスに描かれた動物達はある意味自然のままを受け入れており、微笑ましい感じがする。



鳥獣戯画(1100年-1200年)/日本最古のマンガとも称される



また、日本にはたくさんのキャラクターがあふれている。
様々な物を神として認識するという民族性がキャラクターなどに命を吹き込める想像力を持っているとも考えられる。























日本にあふれるキャラクター/東京にて撮影
Posted on 18:15 | Categories:

サラ・ファネリの手描きのタイポグラフィー



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■1969年にイタリアのフィレンツェに生まれる。リチェロ・クラシコ・ミケランジェロで学位を取得したのち、英国のシティー・アンド
ギルズ・オブ・ロンドンアートスクール、キャンバーウェル・スクール・オブ・アート、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで学ぶ。

■絵本:Sometimes I think, Sometimes I am, Pinocchio, Mythologica Monsters of Ancient Greece, First Flight, Dear Diary, It's 

Dreamtime, A Dog's Life, Wolf!, My Map Book, Buttonなど

■クライアント:ザ・ニューヨーカー、ペンギンブックス、テイトモダン、テイトブリテン、ザ・ビクトリア・アンド・アルバート

ミュージアム、BBC ワールドワイド、ニューヨークタイムズ、ロイヤル・メール、ロン・アラッド、イッセイ・ミヤケなど

■アワード:ザ・ビクトリア・アンド・アルバート・ミュージアム(2回受賞)、 D&AD シルバーアワード(2回受賞):ポスター/
2003、郵便切手/2003など2006年に女性として初めてHONORARY RDI (ロイヤル・デザイナー・フォー・インダストリー)に選
ばれる。
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サラは2006年に英国の近代現代美術館テイト・モダンから永久保存版の壁40mの手描きのタイポグラフィーを依頼された。
この壁には20世紀の著名なアーティストの名前が時系列で描かれている。
初めて見た時、この大きな手描きのタイポグラフィーの壁には圧倒させられた。
壁にはブロック体や筆記体など様々な様式で一色描かれいる。
統一性がありシンプルで奇麗だ。
彼女の絵本の中で描かれているイラストのタイポグラフィーは筆の筆跡があるので、今回の壁に描かれたタイポグラフィーもおそらく筆で描かれたものだと思う。
名前の一つ一つが少し右肩上がりになっていて手描き感でている。





テイト・モダンの壁



今までテイト・モダンでここまで思い切ったイラストの文字を展開するのは初めて見るので、現代アートの展示を行っているTateでイラストレータを起用するのには少し驚きがあった。
グラフィックデザイナーやアーティストであれば恐らくこの違和感は抱かなかったと思う。
サラの絵本作家としての実績と才能はイギリスでかなり影響力があると感じた。 

手描きのタイポグラフィーは彼女の絵本でもよく使われていて、イラストと非常にマッチしている。
自然体かつしっかりとしたイラストの文字は彼女のワークをより引き立てている。
絵本分野では文字と絵との調和、バランスが非常に重要なテーマになってくる。
彼女自身は絵本作家、イラストレーターだが、タイポグラフィーの重要さをよく理解している人だと思う。


サラの代表作の絵本:ピノキオ



サラの生まれはタイポグラフィの歴史と切っても切り離せない場所、イタリアのフィレンツェだ。
ローマにはトラヤヌス帝の戦勝記念碑(112年-113年)があり、後世の大文字の模範となっている。
フィレンツェを中心に起こったルネッサンスがローマン体やイタリック体が生まれたきっかけになっている。


トラヤヌス帝の碑文


スヴァインハイムとパナルツによるプレローマン体


ニッコロ・ニッコリの筆記書体



両親もアートに精通していて、父親が建築史学者で母親がアメリカの美術史家だ。
彼女がタイポグラフィーに注目したのはごく自然のことのように見える。

彼女の作る物はどこか手作り感を感じさせて親しみを覚えさせる。
デジタル技術を駆使しているわけではないのに色使いやテクスチャの使い方、構成力、手書きのタイポグラフィの絶妙な組み合わせで現代的な新しさ、新しい時代性を感じさせる。





Posted on 15:18 | Categories: