左:脈動する本:杉浦康平/右:初のブックデザイン展:横尾忠則
経緯
2人とも有名なグラフィックスデザイナーだが、デザイナーとしての始まりや向かう方向性がそれぞれ異なっている。
杉浦さんは元々は東京藝術大学で建築を専攻していたが、そこからグラフィックスの世界に移行してきた。
それに対して横尾さんは最初はグラフィックスから入っていったが、後には画家宣言をしている。
デザインへのアプローチ
杉浦さんのデザインではタイポグラフィーとイラストがきれいに調和している。
大胆な構成をとっているが、全体の仕上がりとしてすっきりとした簡潔なイメージを持たせる。
雑誌『季刊銀花』創刊号/デザイン:杉浦康平(1970年)
横尾さんの場合はインパクトのあるイメージとビビットカラーで目を引きつける。
放射状の形の背景が特徴的だ。
『書を捨てよ、町へ出よう』/デザイン:横尾忠則(1967年)
一つ一つの本を見た時には色や構成で横尾さんの方が強烈なインパクトがあるように見えるが、本棚に飾られた時には杉浦さんのデザインは統一感をもたらし、心地よい安心感を感じさせる。
『ピカソ全集』/デザイン:杉浦康平(1981年-1982年)
初のブックデザイン展の地下の展示の様子:横尾忠則
海外からの影響[欧米]
アプローチに違いがある2人だが、同じように欧米とインドから影響を受けている。
もしかしたら時代の流れで自然とそうなったのかもしれない。
杉浦さんは1964年-1965年にドイツのウルム造形大学に客員教授として招かれている。
ヨーロッパのデザインの影響を受けている可能性はあると思う。
ウルム造形大学での指導の様子(左下)と学生のポスター3点(左上・右上)(1964年)
横尾さんは1970-80年初代に活躍しており、その色使いや技法等のアプローチの仕方がアメリカのポップアートと共通している点がある。
1960年代にアメリカでアンディーウォーフォールがポップアートで全盛期をむかえている。
時代の流れからしても横尾さんもポップアートの影響はアメリカから受けているように思えるが、アートとして大衆文化を美術に取り込んだのではなく、もともとデザイナーの立ち位置でポップアートを取り込んだ様にみえる。
横尾さん自身はポップアートから影響を受けたのではなく、触発されたとインタビューで語っている。
マリリン・モンロー(1962年):アンディー・ウォーフォール
海外からの影響[インド]
1970年代には2人ともインドを訪れている。
杉浦さんは1972年にアジア活字開発調査のため、タイ、インド、インドネシアなどアジア諸国を初めて訪問する。
インドでは音と形の結びつきに感銘し、自然と人間社会が切り離されず調和されていることに気づく。
『インド音楽祭』プログラム表紙デザイン/デザイン:杉浦康平・谷村彰彦(1988年)
横尾さんは1974年からインドを訪れるようになり、精神世界に興味を深め始める。
異世界に興味を持ち始め、ペインティングでも異世界との境界線を描いている。
『薔薇刑』/デザイン:横尾忠則/撮影:細江英公
違った形ではあれど、インドから受けた影響は形だけにとどまらず、インドの精神性も影響していると感じる。
2人とも同じ時代に生まれ、それぞれ違った経路から始まり書籍作りに関わっている。
お互いに目指す方向やアプローチは違うけれども、同じくらいの時期に西欧とインドなど他の国から影響を受けているのはとても興味深い。
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